井上探景

井上探景

元治元年(1864)生、明治22年(1889)没
井上安治とも言う。一時、月岡芳年に弟子入りしていたが、その後、15歳頃、小林清親の弟子となる。清親は、師匠というより、後見人か友人のようだったという説もある。
探景は、清親についてよく写生に出かけ、「探景」の画号は、その時の行動からつけたようである。
明治13年、17歳で、「浅草橋夕景」などでデビューした。
当局の規制で、清親が描かなくなった光線画を、探景は引き継いで描いた。探景が明治10年代後半に描いた大判画の光線画シリーズ、「東京名所絵」は、評判になった。
風景画を描かせると天才的であった。
明治17年以降は、急速な西洋化を規制した当局にも配慮し、開化絵や風俗画、相撲絵、さらには、皇室関係や憲法発布などの時局絵も描くようになった。
生まれつき身体が弱かったが、明治22年、結婚を前に、脚気のため、26歳の若さで夭折した。