歌川貞秀

歌川貞秀

文化4年(1807)生、明治12年(1879)没
初代歌川国貞の門人。国貞が本所柳島妙見堂境内に建立した「初代豊国先生瘞筆之記」碑背面には11名の国貞門下の名が刻まれているが、貞秀はわずか数え22歳で4番目に位置しており、若い頃から将来を嘱望されていたようである。
天保年間後半からは、「日本八景づくし」や「大江戸十景」など風景画に遠近法を駆使した、見事な鳥瞰図を数多く描いている。
北海道から九州まで自ら歩いて、鳥瞰図を描き、「空飛ぶ絵師」とも言われる。
慶応3年のパリ万博出展の際には、歌川好宗とともに浮世絵師の総代を勤めた。
明治元年の浮世絵師番付においては、貞秀は、第一位を獲得しており、当時最も高名な絵師であった。
横浜絵も描いたが、精密な描写と画面構成が高く評価されている。